日記
ドリプラ2022年 スタートの日
友人の紹介で第2回ドリプラ信州(WILL=自分の意思)をかたち(事業)にする半年間のプロジェクト。ワークショップと対話を通じて自分のやりたいことを実現していく)
に出場しました。私は小さな頃から障がいがあることや、介護が必要な方が社会的に不利なイメージになっていることにとても違和感をかんじるこどもでした。
小学生の頃同級生の男の子がふざけて「あいつ、しんしょうみたいだな。」と通学路で遠くにいるその子を指さしていっているのです。
私は憤りを覚え、その頃はおとなしい私でしたが、しんしょうとバカにしたその子の所へかけよって、「なんでそんなこというの?それ、おかしいでしょ。」と顔がかーっと熱くなるほど
自分の怒りを爆発させて記憶があります。
そんな私はどういうわけか、医療や介護看護と向き合う機会がいつでも生活の中にありました。
一番の転機は大切に育ててくれた祖母が脳梗塞で倒れたことでした。
私は祖母の事が大好きでした。元気でずっといるのが当たり前だと思っていました。
ある日を境に祖母は介護が必要になりました。私は自分が想像していた通りにおばあちゃんを介護することができませんでした。
その頃「あー、私の代わりにおばあちゃんの気持ちに寄り添ってくれる人がいたらな。」と思うようになったのです。
何かをつくりたい、その何かがわからないだけで私は自分が介護の事業をいずれ興すことを決めていました。
その何かを探すために、沢山の参考書を読みあさり沢山のセミナーに参加し沢山の事業計画書の作成をしました。
でも、一人では進んではとまり、進んではとまりの繰り返し。
止まったときはいつでも簡単に言い訳をさがすことができました。
「今じゃないんだよ。
まだ勉強がたりない。」
今度は
「こどもが生まれたから。
子育てがおわってから。」
どんな時も立ち止まったときに自分を納得させるいいわけが次々にでてくるのです。
私は沢山の素敵な友人に囲まれています。
そして、友人の縁をたどって、私はドリプラに巡り合いました。
ドリプラでは、これまでずっと一人でやっていたことを、多くのサポーターが私のために本気で心と時間をかけてくれていることを実感しました。
私はこれまで感じたことがないほど自分の中からあふれてくるパワーを感じました。
心が毎回動かされるので涙も沢山流しました。
「そっか。そうだった。おばあちゃんだってなりたくてなったわけじゃない。」この言葉をドリプラのプレゼンで泣かずにいえるようになったのは
4月に入ってからだったような気がします。
もう、やめることはありません。
その理由はシンプル。
沢山の人たちが私の夢に向き合ってくれた。
そのことで私は「やる。」という「本気の覚悟」ができたのです。
17年分の想いを
くやしさを辛さを
今度は
笑顔と信頼の形で
今介護されているご家族の方へ届けていくことを誓います。
パーソナル介護士
伊藤郁美
最後にドリプラで一緒に頑張った仲間、支えてくれたサポーターのみなさんに心より感謝いたします。
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